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服装という形を作り上げるためには、総合的に考えて最適な被服を作ることがまず第一なので、これに関することを前2回にわたって述べてきました。今回は着るということについて考えてみましょう。着るということを人体着装とします。

まず人体着装の基本的な行為は、着ること、着ていること、脱ぐことにまとめることができると思います。

着ることというのは普段のことなので、着ることとは何かと聞かれても困ってしまいます。ここでは次のように考えました。すべての被服を、それが必要とされる人体の部位に身につける行為です。服装を組み立てる行為と言えます。服装に必要な被服類を一定の順序で、また一定の方式にしたがって組み合わせることになります。とくに儀礼服やある制服などでは、その服装は複雑で着る順序や方式が決まっています。

着ていることで中心になるのは、着装(着られた)状態の被服が服装として発揮されている効果を破壊することなく保持することが必要となることです。つまり、組み立てられた状態を適切に維持する行為です。着られた状態は、日々の生活行動によってくずれ乱される傾向があります。よく言われている着こなしも着ていることの1つですが、服装のくずれや乱れを防いで、たえず適正な状態に保持することと言えます。

脱ぐことというのは、服装を解体する行為です。ときには部分的に脱いで軽装に変容したり、部分的に皮膚を裸出することもあります。このときにも一定の順序や方式がありますが、常識的な経験に基づいて行っています。

被服を着るときの目的と効果から、包む装う(よそおう)被う(おおう)、という3つがあります。

包むという着方。包むというのはWrappingですから、体全体をおおうということです。目的は体の保護です。寒さに対する保温や暑さに対する対応です。自然界に対する調和が果たされている被服が必要です。人体を包む必要があるのは寒冷地が多く、北半球の人たちにこの服装が多く見られます。

装う(よそおう)という着方。Dressingということです。装うということは、相手を意識しておしゃれをしたり、着飾ったりすることです。目的は装身(Decoration)、飾る(Adorning)という効果を出すためです。社会生活をしているとき、個性を示そうと思うときや社交的雰囲気の中で目立ちたい場合、また集団生活の中で秩序を維持しようと思うときに装うという着方をしています。

被う(おおう)という着方。Coveringという着方です。身体の一部を隠すことを目的とした着方です。倫理的な生活を守るためのものと考えられます。このような人の眼を意識し、対外的なことを配慮した着方が生まれたのはキリスト教の普及によると考えられます。初期キリスト教の皮膚裸出禁忌の思想で全身を被うような服装が生まれ、ビザンチン時代から中世においては裸体をあらわにしない服装が流行しました。一方、羞恥心と深い関わりがあるためか、腰部をカバーする習慣が一番多く見られることは、文化人とそうでない人たちとの間に大きな差はありません。しかし、おもしろい例もあります。アフリカのある種族の女性は顔だけ隠しさえすれば身体のどの部分を露出しても恥ずかしがりません。また裸体を決して恥ずかしがりませんが、頭の後では見られないように頭巾をつけている少女もいます。

六月無礼という言葉があるそうです。冷房などなかった明治の夏の様子についてのことのようですが、縁台や露地でかなり楽な格好、例えばふんどし一丁、腰巻き一枚などで涼む人たちのことに対してのようです。

日本繊維製品・クリーニング協議会 会長 角田光雄